人生の中で大切にしていること
先日、ある方とお仕事のお話をする中で、「あなたが人生の中で大切にしていることは何ですか?」という質問を受けました。そのとき私は「心と心がふれあうこと」と答えました。次に、「それはなぜですか?」という質問を受けました。
なぜなら、、、
今日はそんなお話をします。
街を歩いていて、幸せそうなカップルや、ベビーカーをひく親子を見るたびに、かつての私は「みんな死ねばいいのに!」と思っていました。
なんでみんな、笑っているの?
なんでみんな、隣に誰かいるの?
なんで幸せが当たり前のような顔をして、堂々と生きていられるの?
自分はどんなに頑張っても手に入らない・・・。
そして思いました。
「私は、何のために生きているんだろう?」
心にはぽっかりと穴があき、ヒューヒューと冷たい風が吹いていて、その風が嵐に変わるとき、猛烈な殺意がこみあげてくるのでした。「こんな世の中、破滅すればいいのに・・・」
その時の愛読書といえば、馳星周の暗黒小説。『不夜城』や『漂流街』の中で生きる黒い人たちの、暴力と裏切りの日常。人が物のように死んでいく犯罪の街とスピード感。恋愛小説とは真逆にあるような愛の形。そして危険な中でこそ感じられる生命力。そんな小説の中の空気感が、自分のヒリヒリ、ピリピリとした心とフィットしました。
人の顔色をうかがって、周りに合わせて、もうこれ以上傷つかないように、目いっぱいバリアを張って生きていた時代。
そんなことに疲れ果てると、今度は逆に「もうどうにでもなれ」と投げやりに自分を差し出し、人を傷つけていた時代。
あの頃の自分は、何が欲しかったんだろう?
それは、無くならないぬくもり。確信のある愛情。
でも、求めれば求めるほど苦しくなりました。
いったんぬくもりを感じてしまうと、それを失うのが耐えられなくて、相手にしがみつきました。
心の底にあった、「どうせ自分は愛されない」。
「こんな自分と一緒にいてくれるのだから、相手に何かを与えなければ」っていう劣等感と罪悪感が相手の心を重くし、一方では、自分自身が人と向き合うのが怖くて、心の扉は閉じたまま。相手が与えてくれるものを受け取れませんでした。
その思いを反映するように、大切な相手を失っていきました。
ずっとひとりだった。
ひとりは虚しかった。
その後、信頼できる人との出会いや、色々なカウンセリング、セラピーを受ける中で、がっちりと閉じていた心と体が少しずつ緩んでいきました。
そのフッと緩む時にはいつも、「心と心が触れ合う瞬間」がありました。
「ひとりじゃない」という感覚を知ることではじめて、
過去の中に生きている自分が、今を生きることができた。
だから、私が人生の中で大切にしているものは、「心と心が触れ合うこと」。