回復(リカバリー)とは何か?
今朝Twitterを見ていたら、スキーマ療法で有名な伊藤絵美さんが、「リカバリー(回復)とは何か」ということをつぶやかれていた。
それには元になるツイートがあって、「『リカバリーこそが大事』という価値観の押し付けって、すごいあると思う」というもので、『強迫症を克服する』の著者の矢野宏之さんの発信である。
通常、心の相談に来られる方は、今の苦しい状況から良くなりたいと思うからこそ相談に来られるわけで、「回復を目指すのが当然」と思ってしまいがちだが、
相談者の方の「回復したくない」という意志や、例えば、「あなたはどうしたいの?」という問いかけに、「わからない」とか「選びたくない」という意思決定の放棄も保証しないと、それは暴力になる、という。
確かにそうだ。
で、改めて、私も回復(リカバリー)について考えてみた。
(※回復≠リカバリーとの考えもあるけれど、ここでは同義で)
私がイメージしている回復は、「楽になる」こと。
楽になるとは、「葛藤を抱えられるようになる」こと。
回復には、いくつもの形があると思う。
めまいや幻聴などといった病気の症状が改善したり、機能が回復したりして以前と同じ状態に戻ることだったり、
病気や障害の症状があっても、その上で自分の力や、人生や、生活を取り戻すことだったり、
置かれている状況や周りにいる人が変わらなくても、自分自身の捉え方や物の見方が変わることで楽になったり。
時に、その症状は、本人の問題というより、社会や職場や家族のシステムの問題であることも多い。
だから、症状が軽減する、ということだけが回復ではなく、
表面に現れていることだけではなく、目に見えない背景まで想像できるようになったり、違う側面から見えるようになることだって、回復のひとつだ。
むしろ、それができるようになると、症状が軽減することがある。
かつて私自身がセラピーを受けていた時、
「あなたはどうしたいの?」と聞かれ、とても困ったことがある。
口では「〇〇したい」と答えていたが、心は解離していた。
本当は「よくわからない」だった。
「覚悟が足りない」と暗に言われ、「覚悟」ってどうすればできるんだろうと悩んだりした。
結局、「覚悟」は自分でしようと思ってできるものではなく、状況がどうしようもなくなった時に、もう「覚悟」も何も、現実をありのままに受け入れるしかなくなって、そこからいろいろな変化がおきた。
そんな経験から、
「あなたはどうしたい?」と聞くことはあるけれど、「よくわからない」でも、「どうもしたくない」もぜんぜんありで、
回復へのイメージは持ちながらも、基本的にはその人のペースを追い越すことなく、必要な時にはちょっと背中を押したりして、というバランスをとりながら進んでいくことが多い。
大切なのは「自分の足で歩むための支援になっているか」ということ。
そうは思いながら、相談者の方を追い越していることに気づくこともある。
「リカバリーこそが大事」という、「回復第一主義みないな人は、アウトカムだけみて、当事者をみない」という矢野さんの言葉をいつも意識していたい。