「愛着障害」という言葉がもつ2つの意味
「愛着」は、「ある」とか「ない」ではありません
「愛着障害」という言葉を聞くと、親のネグレクトや虐待をイメージされる方も多いと思います。
一部のセラピーの現場で「毒親」という言葉が使われるように、クライアントの苦しみの原因が、親側の愛情の問題であるとし、そこからの分離や自立を目指すような形でセラピーを進めるものがあります。
これは、「愛着障害」という言葉を正確には捉えていません。
心理学で使われる「愛着」とは、1970年代にジョン・ボウルビィによって提唱された「アタッチメント」という概念を「愛着」と日本語に訳したものです。その理論は、幼児心理学者の黒田実郎氏によって「母子関係の理論」として日本に導入されました。
「愛着」という言葉のもつイメージにより、愛情や執着と混同され、「親が愛情をかけること」、「親が子どもに愛着を持つこと」と捉えられてしまうこともあり、それが「愛着障害」という言葉の混乱を招いています。
なので、現在の心理学研究の方たちの間では「愛着障害」ではなく、「アタッチメント障害」という言葉が使われています。
「アタッチメント」とは、まだ幼く自分で自分の身を守ることができない子どもが危険にさらされた時に大人との接近を維持し、保護される行動のことです。生れながらにして生物学的に組み込まれている行動システムのこと。なので、本来「アタッチメント」には、感情や意思は含まれません。
このアタッチメントは、恐れの対象である虐待する親に対しても起こるし、回避型の場合は、このアタッチメントが長続きしません。
つまり、「愛着」とは、「人との関わりのスタイル」ということであり、「ある」とか「ない」とかで捉えるものではありません。また、「愛着障害」は、「親からの愛情がない」ということではないのです。
※セラピーの現場でも、「愛着障害」を親の愛情のなさや「毒親」ととらえて、抑圧された感情を解放するというセッションをしてしまうと、一見、または一時的にスッキリしたようでいて、実はクライアントさんの中にある生きるための力を失わせているということがおこりやすくなります(セラピスト側の親との問題が投影されていることも多いです)。愛着に傷つきを持つクライアントさんに対しては、慎重なアプローチが必要になります。
DSM-5による本来の「愛着障害」の定義
現在、DSM−5(米国精神医学会が作成する精神疾患・精神障害の分類マニュアル)によると「愛着障害」の診断は、『反応性愛着障害(RAD)』と『脱抑制性型対人交流障害(DSED)』の2つになります。
ものすごーく簡単に説明すると、RADの方は、養育者に対して反応がとても薄く、DSEDの方は、特定の養育者にこだわらずに、誰とでも交流してしまうという行動をとります。
※詳細な診断基準については、「DSM-5」をご覧になるか、ネットで検索してみてください。
大事なのは、どちらも「社会的ネグレクト(乳幼児期の適切な養育の欠如)」が診断の必須要件であり、2歳以降にネグレクトを受けた子どもは診断されない、ということ。
また、「重度のネグレクトを受けた」と判断された子どものうちでも、RADは10%未満、DSEDでも20%と、稀な障害であり、診断がつく機会は多くないということです。
つまり、医療の現場で「愛着障害」と診断されることは非常に稀だということ。
これらは「発達障害」との鑑別も難しく、また、私の中の個人的な見解にはなりますが「バーストラウマ」や「家系のトラウマ」との関係もあるのではないかと仮定しており、そういった意味でも、「愛着障害」が「毒親のせい」だとか「親の愛情不足である」と捉えてしまうことは、逆にセラピーの妨げになると考えております。
当相談室での「愛着障害」という言葉の使い方
以上を踏まえた上で、現在使われている「愛着障害」という言葉には2つの意味があることを確認しておきます。
1.精神疾患の診断基準による「反応性愛着障害」と「脱抑制性型対人交流障害」を示す、狭義的な「愛着障害」。精神医学の世界では、こちらの意味で使われます。
2.乳幼児期の愛着形成がうまくいかず不安定な愛着を抱え、それがその後の対人関係や発達、情緒、行動面に支障をきたすという、広い意味での「愛着障害」
私のセラピーに来られるクライアントさんは、2つ目の意味での「自分は愛着障害ではないか?」と思い、いらっしゃる成人の方がほとんどです。本来は「愛着の問題」とか「愛着の傷つき」と表現した方が適切なのですが、「愛着障害」という言葉が愛着の問題で苦しんでいる方たちにとって馴染み深く、検索され、また関心をもってもらえるため、私の相談室では2の意味での「愛着障害」という言葉を使って、回復へのアプローチを進めていくこととします。ご了承くださいませ。